受験まで使える最強の記述問題集            中学・歴史<大正時代>

受験まで使える最強の記述問題集 中学・歴史

この受験まで使える最強の記述問題集は、

※教科書は、帝国書院の「中学生の歴史」を参考にしていますが、ほかの出版社の教科書にも使えます。

※問題集や定期テストの過去問題、入試問題などで見かけた記述問題を目いっぱい載せているので問題量が多いですが、授業の予習・復習で教科書を音読し、続けてこの記述問題集を読むとより理解が深まります。

※記述問題の答えを覚えるのは大変ですが、記述問題が答えられないと半分しか点が採れません。授業の予復習で日頃からこの記述問題集を音読して理解を深めておいて、テスト前には暗記するようにしましょう。また、しっかり理解していれば、自分の言葉で答えられるようにもなります。

※言い回しが違うだけで似たような問題が続くことがあります。それだけ出題回数が多かったことを表しています。

学校で配布された問題集に同じ問題があればその答えを、授業で先生が説明していればその説明を優先してください。

中学・歴史<大正時代>

Q. バルカン半島をめぐる列強の対立について書きなさい。

A. ロシアと、オーストリア、ドイツが対立していた。

Q. サラエボ事件の内容を答えよ?

A. セルビアの青年がオーストリアの皇太子夫妻を暗殺した事件。

Q. 第一次世界大戦と、これまでの戦争との大きな違いを2つ述べよ。

 A. ・国と国との争いに対し、世界を二分した戦争となった.・鉄砲主体の地上戦から、飛行機・戦車・潜水艦などを使い、国の総力をあげての総力戦となった。

Q. 第一次世界大戦が世界規模の総力戦になったのはなぜか?

 A. ヨーロッパの列強が、自国だけでなく植民地の人々も動員し、アフリカやアジアの一部も戦場となったため、初めて世界規模の戦争になった。人々が予想した以上に戦争が長引き、徴兵された男性に代わって女性や青少年が軍需工場で働くなど、民間人も戦争体制に協力したから。

Q. 第一次世界大戦では「総力戦」になった。「総力戦」とはどのようなことか?

 A. 兵士だけでなく、民間人も戦争体制に協力する戦争のこと。

Q. 総力戦によって、列強政府は女性や植民地の人々にどのようなことを行ったか?

 A. 女性も軍需工場で働かせたり、植民地の人々も兵員として動員した。一方で女性の権利を拡大する政策をとり、植民地に対しては本国の戦争に協力する代わりに戦後の自治を約束した。

Q. 第一次世界大戦では、多数の死傷者が出た。その理由を2つ述べよ。

A. ・期間が長引いたから。 ・飛行機、戦車、潜水艦、毒ガスなどの新兵器が使われたから。

Q. 日本は、第一次世界大戦に、どのような理由からおのような立場で行動したか?

 A. 日英同盟を理由に、連合国側で参戦した。

Q. 日本が、協商国として第一次世界大戦に参戦した理由を述べよ。(日本が三国協商側に加わった理由を述べよ。)

A. 日英同盟を結んでいたから。

Q. 第一次世界大戦では、日本の戦死者は他国に比べて少ない。なぜか?

A. ヨーロッパが戦場だったから。

Q. 第一次世界大戦中、ソビエト政府とアメリカが示した講和原則で共通している点は?

A. 民族自決の原則を示している。

Q. 第一次世界大戦に参加した日本の本当のねらいは何ですか?

A. ヨーロッパ諸国がヨーロッパで戦っている間に中国に力をのばそうとした。(中国におけるドイツの権益を奪うこと。)

Q. 二十一か条の要求を1915年という時期に出した理由を述べよ。

A. 第一次世界大戦で、欧米列強のアジアへの関心がうすれていたから。

Q. 第一次世界大戦中の日本と、ドイツ・ロシア・中国それぞれとの関係を簡潔に述べよ。

A. 日独…連合国側でドイツと戦う。

   日露…ロシアが連合国側から離脱すると、内政干渉に加わった。

  日中…中国へは二十一か条の要求をして、中国分割に加担した。

Q. シベリア出兵とはどのようなことか?関係する国の名を挙げて説明せよ。

A. ロシア革命による社会主義の影響の拡大をおそれたイギリス、アメリカ、日本などがロシアに対しておこした軍事行動。

Q. 日本がシベリア出兵を行った理由を述べよ。

 A. ロシア革命の影響によって国内の労働運動や植民地での民族独立運動が活発になることを恐れ、ソビエト政府を倒して革命の広がりを抑えるため。

Q. ロシアが、ソ連と呼ばれるようになったが、国の体制がどのように変わったのか?

A. ロシア革命が起こり、専制政治の国から社会主義の国に変わった。

Q. 第一次世界戦後に国際社会で起こった大きな動きを3つあげよ。

A. ・東ヨーロッパで多くの国が独立。 ・国際連盟の設立。 ・民主主義の拡大。

Q. ベルサイユ条約は、戦勝国と敗戦国にとってどのような内容だったか?

 A. 戦勝国…イギリス・フランス・アメリカなど戦勝国の利益を優先し、ドイツに対して報復する、という内容。

   敗戦国…ドイツは、ばく大な賠償金の支払いを義務づけられたうえ、軍備を縮小され、海外のすべての植民地と本国の領土の一部を失った。  

Q. ベルサイユ条約で、ドイツにどのようなことを求めたか?

A. 植民地を手放し、軍備を制限し、高額な賠償金を支払うこと。

Q. 第一次大戦後、ドイツの経済はどうなったか?

A. 賠償金の思い負担から、経済が破たんし、紙幣の価値が紙くず同然になった。

Q. 第一次世界大戦後、ドイツでハイパーインフレーションがおこった。なぜか?

A. 第一次世界大戦でドイツが負け、その賠償金を支払うために紙幣をたくさん作り、そのせいで物価が急激に上がったから。

Q. 国際連盟を設立した目的は?

A. 世界の国々が協力して、国際社会の平和と安全を守ること。

Q. アメリカのウィルソン大統領の提案をもとに国際連盟が設立されたが、アメリカは加盟しなかった。なぜか?

A. 議会が加盟に反対したから。

Q. 国際連盟は、実際には世界平和に大きな力を発揮できなかった。なぜか?

A. ・提案国である大国アメリカが参加しなかったから。 (・全会一致の原則でなかなか決定できなかったから。)(・武力制裁ができなかったから。)

Q. 国際連盟が強い力を持てなかった理由を述べよ。

 A. アメリカが議会の反対で参加できず、ソ連やドイツもはじめのころは加盟が認められなかったから。

Q. 第一次世界大戦後の各国の社会の変化について述べよ。

A. イギリス…女性に参政権が認められ、労働者の支持を受けた政党が初めて政権を獲得した。

   ドイツ…男女普通選挙法、国民主権、社会権、団結権などを認めたワイマール憲法を基礎とする共和国になった。

   アメリカ…総力戦で消耗したヨーロッパ諸国に代わって発展し、世界一の経済力を持つようになった。

   ロシア…ロシア革命が起き、ソビエト社会主義共和国連邦が成立した。

   日本…不戦条約や海軍軍縮条約を締結するなど、国際協調の方針を取り続けた。

Q. パリ講和会議で民族自決の原則が提唱された結果を説明せよ。

 A. 東ヨーロッパの諸民族が独立を認められ、アジアやアフリカでも民族自決を求める運動が活発になった。

Q. アジア各国の民族自決は、なぜ認められなかったか?

A. 欧米列強はアジア・アフリカの植民地権益を手放したくなかったから。

Q. アジアで民族運動があいついだ背景について述べよ。

A. 第一次世界大戦中にロシア革命、戦後にドイツで革命が起こり、国際連盟が設立されるなかで民族自決が叫ばれて、各国で独立運動が高まっていた。

Q. 1919年に朝鮮、中国、インドで民族運動が起こった。それぞれの背景について述べよ。

 A. 朝鮮…韓国併合により日本の植民地になっていたが、民族自決の考え方に刺激を受けて三・一独立運動が広まった。

   中国…パリ講和会議で二十一か条の要求の取り消しが退けられたため、それに抗議する五・四運動が起こった。

   インド…イギリスはインドに第一次世界大戦後の自治の回復を約束していたが、実際には戦後のインド統治の改革は不十分で、インドの民族運動を弾圧する法律さえできたことから、ガンディーの指導で非暴力・不服従の抵抗運動が起こった。

Q. 中国で五・四運動が起こった理由を述べよ。

 A. パリ講和会議で、中国は二十一か条の要求の取り消しを求めたが列強に退けられ、山東省の利権がドイツから日本へ引き継がれたから。

Q. インドでガンディーが非暴力・不服従の抵抗運動を行ったのはなぜか?

 A. イギリスが、第一次世界大戦に協力したインドに、戦後自治を認める約束を守らず弾圧を続けたから。

Q. ガンディーが裸でいることには、どのような意味(メッセージ)が込められているか?

A. ・この行動は、イギリス製品の不買運動であった。・この行動は、国内生産の育成をよびかけるものであった。

Q. ガンディーの写真より、なぜこの写真が不服従の象徴であるのか?

A. イギリスの綿製品や機械は一切使わず、糸を紡いでいる写真だから。

Q. パリ講和会議やワシントン会議が開かれたころの世界の動きはどのようだったか?

 A. 平和や軍備の縮小をめざし、国際強調の機運が高まっていた。

Q. ワシントン会議では、日本と中国との間に関することについてはどのようなことが決められたか。

A. 日本は中国に、山東半島の権益を返すこと。

Q. ワシントン会議において中国に関して決められたことを述べよ。

A. 日・米・英・仏など9か国により、中国の主権を尊重するための条約が結ばれ、日本が得た山東省の旧ドイツの利権も中国に返還された。

Q. 第一次世界大戦中の日本の貿易について述べよ。

A. 輸出入ともに急増し、輸出額が輸入額を大幅に上回った。

Q. 第一次世界大戦中、日本の輸出額が輸入額を上回ったのはなぜか?

A. ヨーロッパが戦場になり、生産力が低下してアジアへの輸出が途絶えたため、日本の輸出が伸びた。(・戦場にならなかった日本は、戦争に必要とされた船や鉄鋼などを生産し輸出したから。)

Q. 第一次世界大戦中に日本が好景気になった理由を説明せよ。

A. 戦争に必要とさせた船舶や鉄鋼などを生産して輸出を伸ばしたから。

Q. 成金が生まれた理由を述べよ。

A. 第一次世界大戦中、日本の経済は大戦景気でかつてない好景気を迎えたから。

Q. 護憲運動とは、どのようなものか?

A. 憲法の精神に基づいて政党による政治を行い、民衆の考えを反映していこうという運動。

Q. 民本主義とは、どのような考え方か?

A. 大日本帝国憲法の下、主権がどこにあっても、民衆の考えに基づき、政党や議会を中心とした政治を行うことが可能であるとする考え方。(天皇主権でも議会政治が行うことができるという考え方)

Q. 第一次世界大戦中に日本で米の値段が上がって米不足になった理由を述べよ。

 A. シベリア出兵を見こした商人たちが米を買い占めたため。

Q. 米騒動が起こった原因は?

A. 米商人が、シベリア出兵を見越して米の買い占めたため、米価が高騰したから。

Q. 原敬内閣の政党内閣とはどのような内閣か?

A. 陸軍・海軍・外務以外の大臣に、立憲政友会の党員が就任した内閣。

Q. 原敬を首相とする内閣が、本格的な政党内閣と呼ばれる理由を述べよ。

A. 閣僚の大部分を、衆議院第一党の立憲政友会の党員が占めていたから。

Q. 原内閣が、それまでの内閣の成立と異なるのはどのような点か?

 A. それまでの内閣は陸軍や藩閥に支持された内閣であったが、原内閣は世論の力を背景として成立した内閣で、閣僚の大部分を衆議院第一党である立憲政友会の党員が占める初めての本格的な政党内閣であった。

Q. 「藩閥、民本主義、立憲政友会」の用語を使って、大正時代に政党政治が確立していった過程を説明せよ。

A. 明治維新以来、薩長土肥の藩閥は根強く続いてきたが、民本主義が唱えられ、立憲政友会総裁の原敬が首相になって、ようやく藩閥の影が消えた。

Q. 大正デモクラシーを説明せよ。

 A. 護憲運動や普通選挙運動の活性化、民本主義などの思想の高まり、政党政治の実現のなかで、民主主義(デモクラシー)を求める社会運動が盛んになったこの時代の風潮。

Q. 大正デモクラシーの時期に展開された社会運動について、護憲運動・女性・労働者・差別された人々、それぞれの立場から説明せよ。

  A. 護憲…陸軍や藩閥に支持された内閣ではなく、普通選挙や政党政治を求めた。

   女性…女性差別の解消と女性の政治参加を求めた。

   労働者…都市の住宅難や、生活水準の改善を求めた。

   差別…差別問題を解消し、平等な社会の実現を目指した。

Q, 「青鞜」の宣言で、「今、女性は月である。」と言われているのはなぜだろう?

A. 元始、太陽であった女性が、この時代になって自ら光を発せず、他からの光に頼る存在になったと言っている。

Q. 差別されていた人々が全国水平社を創立した目的は?

A. 人間としての平等を勝ち取り、差別からの解放をめざすこと。

Q. 水平社宣言が、「日本の人権宣言」といわれるわけは?

A. 人間としての基本的な人権の復権を宣言しているから。

Q. 普通選挙法では、選挙権のどのような制限がなくなったか?

A. 直接国税の納税額での制限がなくなった。

Q. 1925年の普通選挙法制定によりどのような人々に選挙権が与えられたか、条件の変化にふれて簡単に答えよ。

A. 直接国税を納める条件がなくなり、満25歳以上のすべての男子に与えられた。

Q. 治安維持法が制定された目的を述べよ。

A. 社会主義運動を取り締まるため。

Q. 普通選挙法と同時に治安維持法が制定されたのはなぜか?

A. 普通選挙法の制定によって有権者が増え、労働者・農民の政党から当選者が出ることで、社会主義が広がることを警戒したから。

Q. 大正時代の生活や文化の特色について、明治時代との違いをあげながら述べよ。

A. 明治時代は進んだ西欧の文化に追いつけ追い越せであったが、大正時代になると、文化は大衆化し、新しい学問と文学が誕生した。

Q. 文化住宅の、現在の住宅にも残っている部分はどのようなところか?

 A. 立って料理ができる第ぢころ、家族が集まる居間、子ども部屋、ペットを飼っているところ。

Q. 大正から昭和初期にかけて日本に広まった欧米の文化や習慣を述べよ。

 A. ・カレーライス・オムレツ・コロッケなどの洋食、ケーキやチョコレートなどの洋菓子。

  ・休日には、都市に出て百貨店などで買い物をしたり、映画を鑑賞したりして、「余暇」を楽しむ。

  ・野球やテニスなど、欧米のスポーツ。

Q. デモクラシーの風潮は、日本の政治や外交、文化にどのような影響を与えたか?

 A. 政治面…政党内閣が成立し男子普通選挙が実現した。

   外交面…不戦条約の締結や海軍軍縮会議に参加するなど国際協調外交が推進された。

   文化面…政治や社会の動きに関心を持つ大衆が増え、新聞の発行部数が増加するとともにさまざまな雑誌が出版されるようになった。

Q. 民族学とは、何について研究する学問か?

 A. 受け継がれてきた民衆の生活や文化について研究する学問

Q. この時期に、都市を中心に大衆文化が広まった理由を述べよ。

 A. 学校教育を受けて育った人々が、第一次世界大戦による好景気で発展した都市に仕事を求めて多く移り住み、そこで文学や芸術に親しんだから。

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