受験まで使える最強の記述問題集           中学・歴史<平安時代>

受験まで使える最強の記述問題集 中学・歴史

この受験まで使える最強の記述問題集は、

※教科書は帝国書院の「中学生の歴史」を参考にしていますが、他の出版社の教科書にも使えます。

※問題集や定期テストの過去問題、入試問題などで見かけた記述問題を目いっぱい載せているので問題量が多いですが、授業の予習・復習で教科書を音読し、続けてこの記述問題集を読むとより理解が深まります。

※記述問題の答えを覚えるのは大変ですが、記述問題が答えられないと半分しか点が採れません。授業の予復習で日頃からこの記述問題集を音読して理解を深めておいて、テスト前には暗記するようにしましょう。また、しっかり理解していれば、自分の言葉で答えられるようにもなります。

※言い回しが違うだけで似たような問題が続くことがあります。それだけ出題回数が多かったことを表しています。

学校で配布された問題集に同じ問題があればその答えを、授業で先生が説明していればその説明を優先してください。



中学・歴史<平安時代>

Q. 桓武天皇が奈良から都を移した理由を、「寺院」「政治」の語句を用いて答えなさい。

A. 平城京で寺院の勢力が強まり、政治と結び付くようになったから。

Q. 都が京都に移された理由は?

A. 仏教(寺院)との結びつきを絶ち、律令政治を立て直すため。

Q. 平城京にはいくつかの寺院が見られるが、平安京にはこれらの寺院は移されずにそのまま平城京に残された。その理由を「僧」の語句を用いて書きなさい。

A. 僧が政治を混乱させたから。

Q. 桓武天皇は、平安京に遷都して、どのような政治を行おうとしたのか? 

A. 律令政治による天皇中心の政治。

Q. 奈良時代と平安時代の服装の特色を述べよ。

A. 奈良時代は中国と似た服装で、平安時代は現代の着物の元となるわが国独自の服装である。

Q. 平安時代になって、それまでの「公地公民」のしくみから変わった点を、二つあげよ。

A.・有力な農民に土地を割り当てて税を納めさせた。

・中央の貴族や寺社の所有地である荘園を認めた。

Q. 桓武天皇が坂上田村麻呂を東北地方に派遣した理由は?

A. 東北地方の蝦夷の抵抗をおさえ、朝廷の支配を東北地方まで広げるため。

Q. 摂関政治とはどのような政治か?

A. 藤原氏が、天皇が幼いときはその政治を代行する摂政となり、成人後は後見役として天皇を補佐する関白となって政治の実権を握った政治形態。

Q. 藤原氏が強大な力を持つことができた理由を述べよ。

A. 自分の娘を天皇の后にし生まれた子供を天皇にして、自分は摂政・関白となったから。

Q. 貴族たちは、どのような1日を過ごしていたか?

A. 大内裏に出仕し、年中行事のきまりを間違いなくこなすことが大事な仕事だった。

Q. 遣唐使はなぜ停止されたか?

A. 唐の力が衰え、また航海も非常に危険なものだったから。

Q. 菅原道真はどのような理由で遣唐使派遣の停止を訴えたのか?

A. 唐の衰えを見て、多くの危険をおかしてまで公的な使者を派遣する必要がないと考えたから。

Q. 国風文化の生まれた背景もしくはその理由を述べよ。

A. 唐の勢力が衰えたため、遣唐使の派遣を停止したから。

Q. 国風文化の特色は?

A. 唐風の文化を基礎にしながら、日本の貴族の生活や好みに合わせた独自の文化。

Q. 国風文化は、天平文化と比べてどのような特色があるか?

A. 国際色豊かな天平文化に対し、国風文化は、唐風の文化を基礎としながら日本の貴族の生活や好みに合わせた独自の文化である。

Q. かな文字は、どのようにつくられたか?

A. 漢字を書き崩したり、簡素化したりした。

Q. かな文字とはどのようなものか、かな文字にふくまれる具体的な文字の種類をあげて説明しなさい。

A. 漢字を変形させて日本語の発音を表せるようにした文字で、ひらがなとカタカナがつくられた。

Q. 「源氏物語」「枕草子」などの優れた文学作品が生まれ、当時の人々が感情を自由に書き表せるようになった理由は?

A. かな文字が発達したから。

Q. かな文字の発達によって、優れた文学作品が多くつくられるようになった理由は?

A. 自分の考えや感情をより自由に書き表せるようになったから。

Q. 浄土信仰とは、どのような考えか?

A. 阿弥陀仏にすがり念仏をとなえることで、死後には極楽浄土に生まれ変わることができるという考え。

Q. 平等院鳳凰堂は、どのような信仰に基づいてつくられたか、説明しなさい。

A. 阿弥陀仏にすがって、死後に極楽浄土に生まれ変わることを願う浄土信仰。

Q. 11世紀の半ば以降、地方の有力な武士は、都の貴族や大寺社に荘園を寄進するようになった。これは貴族や大寺社にどのような特権が認められていたためか?

A. 国司による税の取り立てを免除される特権。

Q. 後三条天皇が即位したことで天皇中心の政治が復活した。なぜか?

A. 後三条天皇は藤原氏との血縁関係がうすく、自ら政治を行ったから。

Q. 平等院院鳳凰堂が建設された後、やがて摂関政治には大きな変化が現れた。摂関政治にかわってどのような政治が行われるようになったか?

A. 院政が行われるようになった。

Q. 院政とはどのような政治か?

A. 天皇が、位をゆずったあとも上皇として実権をにぎり、院で行う政治のこと。

Q. 上皇とはどのような人物のことか?

A. 天皇の位をゆずった人物。

Q. 9~10世紀、都や地方での武士の役割はなにか?

A. 天皇の住まいや朝廷の警備、犯罪の取り締まり

Q. なぜ、平氏と源氏が二大勢力となったのでしょうか?

A. 天皇の子孫だから。

Q. 源氏が11世紀後半に東国で勢力を広げた理由を説明せよ。

A. 東北地方で2度おこった有力者の勢力争いを、源義家がしずめたから。

Q. 平氏の政治と、藤原氏の摂関政治を比べて、似ているところは?

A.・娘を天皇のきさきにした。    

・一族で高い官職や位を独占した。

Q. 平清盛はどのようにして朝廷との関係を深めたか?

A. 娘を天皇と結婚させ、生まれた子を天皇にした。

Q. 清盛が栄華を極めた理由を、「天皇」「貿易」という言葉を使って説明せよ。

  A. 娘を天皇と結婚させ、その子を天皇にすることで朝廷との関係を深め、一族で高い官職や位に就き、西国を中心に広大な荘園と公領を支配したから。さらに、瀬戸内海の航路や港を整備し日宋貿易を進め、自らの重要な経済的基盤としたから。



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