ローマ、といえば、紀元前27年に成立したローマ帝国が有名。
中学歴史の教科書に載っていたコロッセウムの写真や、
中国を支配していた漢とシルクロードで結ばれている地図など、思い浮かぶだろう。
ローマは一日にしてならず、
紀元前9世紀ころから人々が定住しはじめ、
紀元前7世紀ころには、都市国家の整備が進み、
紀元前509年から紀元前27年の共和制ローマ期、(ローマ街道、ローマ水道が造られる。)
そして紀元前27年からのローマ帝国、
中世(5世紀から15世紀)のローマ、(ルネサンスは14世紀にイタリアから始まった、と教科書にあったね。)
ローマの街を歩いていると、いたるところでローマの偉大なる歴史を見聞きし、感じることができる。
なーんて、まるでローマで暮らしたことがあるかのような書き方をしていますが、
実は、ローマは一日観光だけ(^_^;)
実際見てまわった所を紹介するよ。
まずは、フォロ・ロマーノ。
👇の写真は、その一部分。
フォロ・ロマーノは紀元前7世紀から294年まで年ローマの宗教・政治・文化の中心だったところで、
広大な敷地に、神殿、凱旋門、古代ローマの街並みを垣間見ることができる。
土台だけ残っているだけのものも多いが、それが紀元前7世紀のものだと思うと感動する。
紀元前からこれほどの都市国家が成立したのはすばらしい。
遺跡には何の説明書きの看板もなく、パンフレットはイタリア語と英語だけのものなので、
ガイド付きでまわったほうがよかったな、とは思ったが、
個人で自分の感性と想像力でまわったのも、よかった。
数々の英雄が凱旋し、国民たちが熱狂し、歴代ローマ皇帝が暮らし歩いた正にその場所フォロ・ロマーノ。
ここぞ古代ローマ、という感じのところだった。
次に、あまりにも有名なコロッセウム。80年完成。
夜は、ライトアップされるよ。
コロッセウムは、5万人から8万7千人の観客を収容できたそうだ。(東京ドームは4万6千人)
日除け用の天幕を張る設備があり、皇帝席には1日中直射日光があたらないように設計されており、一般の観客席にも1日に20分以上日光が当たらないように工夫されていた。
建設された初期のころには、上下水道の管をコロッセウム内に引いて水をため、船を浮かべた模擬海戦もおこなわれたそうだ。
インフラ整備・高度な技術ができていたことに驚嘆するね。
(日本はまだ弥生時代で、卑弥呼も現れていない(>_<)
ここまで書いていると、ひたすらコロッセウムのスケールの大きさに酔いしれるのだけど、
コロッセウムで実際に行われたことを調べてみると、気分はトーンダウンする。
初期のころ行われた模擬海戦とは、歴史上の有名な海戦を再現したものなのだが、
戦う演技をするのではなく、実際に剣闘士同士が壮絶なバトルを繰り広げ、
死傷者多数、水は血の海( ̄ー ̄)
のちに地上で行われたのは、
猛獣狩り、猛獣同士の決戦、
犯罪人の公開処刑(十字架にはりつけにした上で空腹の猛獣の餌食にする。)
剣闘士同士の闘い(どちらかが死ぬまで終わらない(+_+)
古代ローマの人々は、これらを競技として見て楽しんでいたというのだから、
もはや異次元すぎて、理解できない。
コロッセウムの中に入ると、地下の施設がむき出しになっていて見ることができる。👇
相変わらずスケールの大きさに感服するが、
なんとなく、地下が何に使われていたか想像できるね。
競技に使われる猛獣たちや奴隷、公開処刑される人々が収容されていたんだ。
気分が沈んじゃうね(~_~;)
👇は、コンスタンティヌス帝の凱旋門。315年完成。
コロッセウムの隣りにあるのであまり大きさは感じられないが、高さ28mもあるローマ最大の凱旋門。
見事な浮き彫り装飾が施されている。
が、その半数は、他の建築物から拝借して貼り付けたものだそうだよ。
次は、トレヴィの泉。
元々は古代ローマ時代に皇帝アウグストゥスが造らせたものだが、
現在のものは、1762年にローマの建築家ニコラ・サルヴィの設計で改造されたものでバロック芸術の最高傑作。(時代がぐっと下がる。)
ここも屈指の観光名所で、正面から撮った写真はパンフレットやガイドブックにもよく載っている。
で、私は、反対側のトレヴィの泉を訪れた観光客側も撮ってみた。👇
すごい人出でしょ。
しかもこの何割かはスリだよ。
海外旅行に行ったら、スリに気をつけようね。
次回は、世界で一番面積が小さい国・バチカン市国に行ったときの話をするよ。
(2017年3月訪問)
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