受験まで使える最強の記述問題集            中学・歴史<江戸時代>

受験まで使える最強の記述問題集 中学・歴史

この受験まで使える最強の記述問題集は、

※教科書は、帝国書院の「中学生の歴史」を参考にしていますが、ほかの出版社の教科書にも使えます。

※問題集や定期テストの過去問題、入試問題などで見かけた記述問題を目いっぱい載せているので問題量が多いですが、授業の予習・復習で教科書を音読し、続けてこの記述問題集を読むとより理解が深まります。

※記述問題の答えを覚えるのは大変ですが、記述問題が答えられないと半分しか点が採れません。授業の予復習で日頃からこの記述問題集を音読して理解を深めておいて、テスト前には暗記するようにしましょう。また、しっかり理解していれば、自分の言葉で答えられるようにもなります。

※言い回しが違うだけで似たような問題が続くことがあります。それだけ出題回数が多かったことを表しています。

学校で配布された問題集に同じ問題があればその答えを、授業で先生が説明していればその説明を優先してください。


中学・歴史<江戸時代>

Q. 関ヶ原の戦いが「天下分け目の戦い」といわれるのはなぜか?その理由を、当時の二大勢力を示して書きなさい。

A. 全国の諸大名が、石田三成の西軍と徳川家康の東軍のいずれかに属して戦ったため。

Q. 幕藩体制とはどのような体制か?

  A.(幕府が幕僚とよばれる直轄地を支配し、各大名が支配する藩には独自の統治を認め、)幕府と藩が全国の土地と人々を支配する体制。

Q. 幕府が、大名を統制するために行った主な政策を4つあげよ。

A. 1. 親藩・譜代大名を要地に配置し、外様大名を九州・東北などに配置し、大掛かりな領地替えを進め、大名が力を蓄えないようにした。

2. 武家諸法度を定め、築城や大名どうしの結婚などに制限を設け、法度に違反した大名や幕府の方針に従わなかった大名などに対して、国替や藩の取り潰し(改易)を行った。

3. 参勤交代の制度を整え、多くの大名は1年ごとに江戸と領地を行き来し、その妻や子は江戸の屋敷に住まわされた。 

   4. 御手伝普請とよばれる河川や江戸城などの土木工事を大名に命じた。

Q. 公家や朝廷を統制するために行った主な政策を述べよ。

A. ・京都所司代を置いて朝廷を監視した。 ・禁中並公家諸法度を定めた。

Q. 中世の武家政治と、江戸幕府大名の政治と大きく異なる点は何か?

A. 中世の武家政治…将軍と将軍に従う御家人との結びつきに支えられていた。

江戸幕府の政治…幕藩体制によって全国の土地と民衆を支配した。

Q. 江戸幕府は、大名の配置についてどのような工夫をしたか? 

A. 軍事や交通の要所に親藩や譜代大名を配置し、外様大名を江戸から遠いところに配置した。

Q. 外様大名はどのような場所に配置されたか?またその理由は?

A. 江戸から遠いところ。江戸を簡単に攻めることができないようにするため。

Q. 参勤交代の内容を説明せよ。

A. 大名に1年おきに領地と江戸を往復させ、妻や子を人質として江戸の屋敷に住まわせる制度。

Q. 参勤交代の目的は?

A. 大名に経済力をつけさせないため。

Q. 参勤交代は、大名にとって重い負担になった。なぜか?

A. 大勢の家来を連れて江戸と領地を往復し、多額の費用がかかったから。

Q. 参勤交代は、外様大名にとってどのようなものだったと考えられるか?

A. 関ケ原の戦いのころに徳川氏に従った外様大名は、江戸から遠くに配置されていたため、参勤交代にかかる費用が重い負担だった。

Q. 各藩は、参勤交代にかかる費用をどのように集めていたか?

A. 農産物を蔵屋敷に送り、売っていた。

Q. 朱印船貿易について説明せよ。

A. 外国と貿易をする大名や豪商に、海外への渡航を許すという証書(朱印状)を与えて収入の一部を幕府に納めさせた。

Q. 幕府が朱印船貿易を停止し、貿易の統制を強めていった理由を説明せよ。

A. 神への信仰を重んじるキリスト教が幕府の支配の妨げになり、スペインやポルトガルによる侵略のきっかけにもなると考え、禁教を徹底するため。

Q. 江戸幕府がキリスト教を禁止した理由を、「神」、「支配」の語句を用いて説明せよ。

A. 神への信仰を重んじるキリスト教が支配の妨げになると考えたから。

Q. 島原・天草一揆はなぜ起こったか?

A. 新しい領主が、飢きんに苦しむ領民に重い年貢を課し、キリシタンを厳しく弾圧したから。

Q. 絵踏は何のために行ったか?

  A. キリシタンを見つけるため。

Q. 幕府はなぜキリスト教徒を発見したかったのか?

A. 国内のキリスト教徒が外国の軍事力と結びついて反抗することを恐れたから。

Q. 宗門改めとはどんなことか?

A. 領民が仏教徒であることを寺院に証明させること。

Q. 江戸幕府がとった鎖国とは、どのような政策か?

A. 幕府が貿易を統制し、日本人の出入国を禁止した政策。

Q. 出島のみで幕府が貿易を行った理由は?

A・幕府が貿易と海外の情報を独占するため。

・幕府が許可した者以外が、オランダ人と交流することを防ぐため。

Q. オランダが貿易を許された理由は?

A. オランダは、キリスト教の布教を行わなかったから。

Q. 鎖国の体制の中、江戸幕府がオランダとかかわりをもった理由は?

A. 幕府がキリスト教の布教をおさえながら貿易を行ったり、海外の情報を得たりすることができたから。

Q. シャクシャイン(アイヌ人)が松前藩と戦ったのはなぜか?

A. 大量の鮭をわずかな米と交換させられるなど、和人との不利な取引を強いられたから。

Q. 世界とつながる窓口を限定したことは、幕府にとってどのような利点があったか?

A. キリスト教を布教する国との交流がなくなり、貿易による利益や海外からの情報を幕府が独占できた。また、外国との争いがなくなり、平和な時代が長く続いた。

Q. 江戸幕府が安定した全国支配ができた理由を統治のしくみと関係させて説明してみよう。

  A. 幕藩体制で土地と人々を支配するとともに大名を厳しく統制し、鎖国体制をとることで外国の干渉を受けなかったから。

Q. 身分制度は、幕府が人々を支配するうえでどのような役割をはたしたか?

A. 多数の民衆を支配する武士は、民衆をいくつもの身分に分けることによって自分より下のものがいるのだという差別意識をもたせ、たくみに支配することに利用した。

Q.慶安の御触書を出した目的は?

A. 農民から年貢を安定して取るため。

Q.江戸時代、武士は約7%、百姓は約84%であった。どのような社会であったといえるか?

A. 少数の武士が多数の百姓や町人を支配する社会であった。

Q. 幕府は、百姓から年貢を納入させるために、どのようなしくみをつくったたのか説明してみよう。

  A. 村を通して農民に細かい指示を出したり、土地の売買を制限したりした。さらに五人組を作り、互いに監視させて犯罪を防止したり、年貢の納入に連帯責任を取らせた。

Q. 五人組ではどのようなことに連帯責任をとらせたか?

A. 犯罪の防止や年貢の納入など。

Q. えた・ひにんの身分とされた人々は、どのような差別を受けたか?

A. 仕事や住む場所、服装、ほかの身分の人々との交際などを制限された。

Q. 徳川綱吉が財政難を乗り切るため、新しい貨幣の質と発行量をどのようにしたか?

A. 金の分量を減らした貨幣を多量に発行した。

Q. 徳川綱吉が朱子学を重視したのは、朱子学がどのようなことを大切にしていたからか?

A. 君臣の主従関係や父子の上下関係を大切にしていたから。

Q. 新井白石が財政の立て直しのためにおこなったことは?

A. 金銀の海外への流出を防ぐため、長崎貿易を制限した。

Q. 新田開発が盛んに行われた理由は?

A.・田畑を増やし、幕府の財政である年貢を多く徴収するため。 (江戸時代は、米が貨幣の代わりで幕府の重要な収入だったから。)

Q. 新田の開発が幕府財政の立て直しにつながるのはなぜか?

A. 新田を開発すると米の収穫量が増え、幕府の収入である年貢が増えるから。

Q. 江戸時代に米の生産量が増えた理由を3つ。

A.・新田開発をして耕地面積を増やした。・農具を発明し、改良した。・干鰯や油粕を肥料にした。

Q. 武士にとって、米がたくさん取れればよい、ということではなかった。なぜか?

A. 米がたくさん取れると米の値段が下がるため、武士が給料として支払われた米をお金に換えるとき手にするお金が少なくなってしまうから  

Q. 備中くわの利点は?

A.・小さな力で深く耕すことができる。 ・土が刃につきにくい。

Q. とうみや千歯こぎは、どのような作業をするものか?

A. とうみ … もみがらと米を分別する。

千歯こぎ … 稲からモミ(米)をとる。(脱穀)

Q. 改良された農具(千歯こぎ)が改良以前の農具(こきばし)と比べて優れている点は?

A. 一度にたくさんのもみをとることができる。(一人でたくさん脱穀することができる。)

Q. 千歯こきが普及する前と後の農作業の変化を述べよ。 

A. 2本の棒ではさんでもみをこき落としていた作業が、稲をまとめて楽に脱穀できるようになり、能率が格段に向上した。

Q. 幕府・大名や農民が米の生産量を増やすためにどのようなことを行ったか?

A. 幕府・大名 … 用水路を造ったり、干潟や沼地を干拓したりするなど新田開発に力を注いだ。

   農民 … 備中鍬や千歯こきなどの農具を使用したり、干鰯や油かすなどのより栄養価の高い肥料を使った。

Q. 各地で特産物の生産が盛んになった理由を、貿易統制と関連づけて説明せよ。

A. 貿易統制によって国内に入ってこなくなった日用品の生産や加工を進める動きが近畿地方から各地に広がり、それぞれの風土に合った作物が特産物として生産され始めたから。

Q. 関所が置かれた目的は?

  A. 地方から江戸に武器が入ることと、江戸屋敷に住む大名の妻子の不法脱出を防ぐため。

Q. 東海道五十三次の終点が、全国の産物が集まる大阪でないのはなぜだと思うか?東海道が江戸幕府の基礎づくりのころに整備されたことから考えて書きましょう。

A. 物資の輸送よりも、軍事的なことを目的に整備されたから。

Q. 東廻り航路・西廻り航路など航路が発達した理由は?

A. 大量の米を運ぶのには、陸路よりも海路を利用する方が便利だから。

Q. 航路が開かれたことで、米の輸送はどうなったか?

A. 東北・北陸地方の米が、江戸や大坂に輸送されるようになった。

Q. 大阪が「天下の台所」とよばれた理由は?

A. ・大阪には各藩の蔵屋敷があり、全国の年貢米や特産物が全国から集まり取引されたから。 ・交通網が整備されたことにより、全国から米や特産物が運ばれ売買されたから。

Q. 蔵屋敷にはどのようなものが運び込まれたか?

A. 全国から集められた年貢米や特産物。

Q. 大阪が商業の中心として発達した理由を、交通網の整備に触れて説明せよ。

A. 東北地方の米などを運ぶ西廻り航路や、江戸へ日用品などを運ぶ菱垣廻船・樽廻船が整備されたことで、大阪には全国から米や特産物が運び込まれ、取り引きが盛んに行われたから。

Q. 「現金かけねなし」の意味は?

  A. 現金での即日払いで商品を購入し、価格に かけね(利子)が上乗せされていないこと。→後払いより安く買える。

Q. 株仲間とは、何か?

A. 商人の同業者組織。

Q. 株仲間は、幕府と商人にとってどのような利点があったか?

A. 幕府…営業税が入った。 商人…営業の独占を許され、大きな利益をあげた。

Q. 貨幣について、江戸時代はそれより前の時代と異なっていた。どのようにことなっていたか?

A. 幕府が貨幣を作って全国に流通させた。( 農村にも貨幣経済が広がった。)

Q. 貨幣の流通量が増える一方で、金銀の産出量が減って金銀が不足すると、江戸幕府はどのようなことを行ったか?

A. 貨幣に含まれる金銀の量を減らし、貨幣の発行量を増やした。

Q. 元禄文化とは?

A. 17世紀の末から18世紀の初めにかけ、上方(大阪・京都)を中心に町人たちを担い手として生まれた文化。

Q. 元禄文化の特色は?

A. 上方の町人を担い手とした、活気のある文化。

Q. 元禄時代、なぜ上方の町人が文化の担い手となったのか?

  A. 商業の発達と都市の繁栄で、武士よりも町人たちが経済的なゆとりを持つようになり、町人が社会の担い手となったから。

Q. 徳川吉宗が幕府の財政立て直しのために行った政策を述べよ。

A. 質素・倹約を掲げて支出を抑え、年貢米を増やすため、新田開発を進めて豊作や不作に関係なく一定の年貢を取り立て、一時は大名からも参勤交代を軽減する代わりに米を献上させた(上米の制)。

Q. 徳川吉宗が定めた上米の制とはどのような政策か?

A. 参勤交代を軽減するかわりに大名に米を献上させる政策。

Q. 享保の改革で、目安箱を設置した理由は?

A. 政治に民衆の意見を取り入れようと考えたため。

Q. 18世紀になると、農村はどのように変化したか、「商品作物」「貨幣」の言葉を使って説明せよ。

A. 綿花や紅花・藍などの特産物が商品作物として積極的に作られるようになり、商品作物の生産者は問屋と結び付いて問屋制家内工業を行うようになった。また、商品作物などの売り買いをして貨幣を使う機会が増え、商人との取引に成功して豊かになってさらに土地を集めて地主になる者と、土地を失って小作人になったり出稼ぎに行ったりする者と、農民の間に格差が生まれた。

Q. 江戸時代、農業にはどんな変化があったか?

A. 農具が改良されたことで生産力が向上し、多くの商品作物が作られるようになった。

Q. 農村では、小農の割合が増え中農の割合が減っている。なぜか?

A. 農村での貨幣経済が広がり、商人との取引に成功する者と失敗する者が現れ、貧富の差が広がったから。

Q. 江戸時代に紅花・菜種などの商品作物も栽培されるようになり、農村に経済上の変化が起こった。どんな変化か?

A. 農民の間に貧富の差を生んだ。

Q. 百姓が領主に対してどのようなことを要求したか?

  A. 天災などで年貢が納められないときは、年貢を減らしてくれるように要求した。不正を行う役人を辞めさせるように要求することもあった。

Q. 百姓一揆や打ちこわしが増えてきた背景と原因は?

A. 財政の悪化に苦しむ幕府や藩は、年貢を引き上げたり、商品作物の価格や売り先を統制し、新たな税をかけたりした。また、貨幣経済が自給自足的な農村に広がり、農業経営が不安定になったことが原因である。

Q. 百姓一揆は、どんなときに多く発生しているか?

A. 飢きんが起こったとき。

Q. 百姓一揆では、どんなことが要求されたか?

A. ・年貢を軽減すること。 ・不正を働く代官を交代させること。 ・作物の自由な売買を認めること。

Q. 打ちこわしはなぜおこったか?

A. 商人が米の売りおしみをして物価をつり上げたのに反発しておこった。

Q. 傘連判状は、なぜ名前を円形に書いたのか?

A. 一揆の指導者が誰だかわからなくするため。(一揆の中心人物は死刑になるので、中心人物が誰かわからないようにするため。)

Q. 田沼意次は、幕府の税収入を増やすためにどのような政策を行ったか?

A.・株仲間を奨励し、特権を与える代わりに税をとった。・銅や海産物を輸出するなど、長崎貿易を活発にした。

Q. 田沼意次は、商工業者から税を集めるために、どのようなことを行ったか?

  A. 株仲間の営業権を認めた。

Q. 田沼意次は、幕府の収入を増やすために貿易に関してどのようなことをおこなったか?

A. 長崎から銅や海産物を盛んに輸出した。

Q. 田沼意次が行った政治が、他の改革や政治と大きく異なる点は何か?

A. 商人の力を利用して、積極的な産業政策を行った。(財政の立て直しを図った。)

Q. 田沼意次が株仲間の特権を認めて、良かった点と良くなかった点は?

A. 良かった点 … 商業や産業が発達した。 貨幣経済がいっそう発達した。良くなかった点 … わいろがさかんになり、政治が乱れた。

Q. 松平定信が、凶作や飢きんの対策として行ったことは?

A. 農村に米をたくわえさせた。

Q. 飢きんと、百姓一揆や打ちこわしの発生件数の関係を説明せよ。

A. 飢きんがおこると、百姓一揆や打ちこわしの発生件数が増える。

Q. 幕府が繰り返し改革を行わなければならなかった理由を、田沼意次と松平定信の政策方針のちがいから説明してみよう。

  A. 田沼意次は、商業の活性化を促すことで収入を増やし財政の立て直しを図ろうとし、松平定信は、質素・倹約を掲げ、農業を重視した改革を行ったが、どちらも失敗に終わったため。

Q. 化政文化とは?

A. 19世紀に入り、社会の行きづまりを背景に、江戸の町人の好みを反映して生まれた文化。

Q. 元禄文化と化政文化の共通点や、時代背景の違いは?

A. 共通点…町人の文化

    時代背景…元禄文化・活気づく社会  化政文化・行きづまった社会

Q. 印刷技術が人々に与えた影響を述べよ。

A. 印刷技術の発達により数多く印刷できるようになった錦絵や風景画、旅の案内書、長編小説などを通して、江戸の文化が地方にも伝わっていった。

Q.「東海道膝栗毛」、「南総里見八犬伝」などの書物が盛んに出版されるようになった。その理由は?

A. 寺子屋が増え、民衆の子ども達が読み・書きを習い、本を読むことができる人が増えたため。

Q. 西洋の学問(蘭学)を学ぼうとした理由は?

A. 西洋の学問の方が進んでいることがわかったから。

Q. 18世紀に蘭学が盛んになった理由を、「徳川吉宗」の語句を用いて説明せよ。

A. 徳川吉宗が漢文に翻訳された洋書の輸入制限をゆるめたから。

Q. オランダの解剖図と東洋の解剖図の違いを、内臓について書きなさい。

A. オランダの解剖図のほうが、内臓の形や位置が実際のものに近い。

Q. 国学や蘭学が社会に与えた影響を説明せよ。

  A. 国学は、当時の社会を批判する考えや天皇を尊ぶ尊王の考えに結び付き、幕末の尊王攘夷運動に影響を与えた。蘭学は、医学、測量術、天文学を急速に進歩させた。

Q. 寺子屋では、主にどのような人たちが何を学んだか?

A. 農民や町人の子どもが、読み・書き・そろばんなどを習った。

Q. 異国船打払令の内容を簡単に説明せよ。

A. 日本の沿岸に近づいた外国船を打ち払えという法令。

Q. 1792年ロシアの使節ラクスマンが根室に来航し、日本との貿易を求めてきた。この出来事の後、幕府は外国の接近に対してどのような対応したか?

A. 北方の探検や測量をしたり異国船打払令を出したりして、鎖国を維持しようとした。

Q. 1800年頃から、日本に外国船が多く近づくようになってきた。なぜか?

A. 産業革命の後、欧米諸国が原料の供給地と商品の市場を手に入れようとしたから。

Q. 幕府が間宮林蔵らに蝦夷地や樺太の探検をさせた理由はなぜか?

A. ロシアの接近を警戒したから。

Q. 高野長英が幕府によって厳しい処罰を受けたのはなぜか?

A. 幕府の政策を批判したから。

Q. 高野長英は、幕府のどのような方針を批判して処罰されたか?

A. ・外国船を鉄砲や大砲を撃って追い返すという方針。・外国船を打ち払うという方針。

Q. アヘン戦争の状況が、幕府の政策にどのような影響を与えたか?

A. 清がイギリスに敗北したことに衝撃を受けた幕府は、異国船打払令を緩め、薪水給与令を出し、薪や水などを与えて外国船を日本から退去させることにした。

Q. 18世紀と19世紀の生産方法にどのような違いがあるか?

A. ・18世紀は問屋制家内工業で、19世紀は工場制手工業になった。 ・18世紀は、各農家で生産する方法で、19世紀は1つの作業場で多くの働き手が協力しながら生産した。

Q. 工場制手工業はどのようなしくみか?

A. 一つの作業場に労働者を集めて、分業により、生産するしくみ。

Q. 家内工業、工場制手工業のそれぞれの利点は何か?

A. 家内工業…必要量生産     工場制手工業…同じ品質のものを大量生産。

Q. 改革に成功した藩の政策に共通している点は何か?

A. 商品や特産物の販売による利益に着目し、工場制手工業を後押ししてその生産力を高め、専売制などを行って他地域への販売を強化した。有能な下級武士を登用した。

Q. 大塩平八郎の乱の結果と、幕府への影響を述べよ。

A. 乱は1日でしずめられたが、もと役人の乱であったため、幕府は衝撃を受けた。

Q. 大塩平八郎の乱は幕府に大きな衝撃を与えた。なぜか?

A. 元幕府の役人が中心となった反乱だったから。

Q. 水野忠邦が物価を下げるために実施したことは何か?

A. 株仲間を解散させたこと。

Q, 水野忠邦が株仲間を解散させた目的は何か?

A. 物価を下げるため。

Q. 水野忠邦が行った商品の流通にかかわる政策はどのようなものか?

A. 物価を下げるために、株仲間の解散を命じた。

Q. 19世紀前半、幕府が直面した危機を、「内」と「外」に分けて説明せよ。

A.内… 天保の改革は、強い反発にあい失敗した。外… 外国船打払令を出して追い払う方針を出したが効果なく、結局は開国へ向かった。

Q. 幕府が改革に失敗した理由を述べよ。

A. 株仲間の解散や、江戸や大阪周辺の大名領などを幕領にしようとしたことが、力を付けてきた大名や商人などから反発を受けたため。

Q. ペリー艦隊の船の特色は?

A. 産業革命によって蒸気機関が動力として用いられるようになり、風の力に頼らずに航行することができた。

Q. 日米修好通商条約の内容はどのようなものか?

A. 幕府はアメリカに、函館・横浜・長崎・新潟・神戸の5港を貿易港として順次開くことや、外国人居留地での自由な商業活動を認めた。また、日本には関税自主権がなく、アメリカに領事裁判権を認めた。

Q. 日米修好通商条約は、日本にとってどのような点で不平等であったか?

A.・日本に関税自主権がなく、米国に領事裁判権を認めた。(日本に関税自主権がなく、また米国人の犯罪を日本の裁判で裁くことができなかった。)

Q. 関税自主権がないことは、なぜ日本にとって不利か?

A. 関税を決める権利がないと輸入品が安くなり、自国の産業を保護できないから。

Q. 開国後の日本が抱えた、日本と外国との関係上の問題を説明せよ。

  A. 不平等条約を解消するために、多大な努力と日時を要した。

Q. 開国後の日本が抱えた、幕府と大名との関係上の問題を説明せよ。

A. 開国について、幕府は大名を従える力を失っていった。

Q. 開国が民衆の生活にどのような影響を与えたか?

A. 輸出による品不足や金貨の流出により、物価が上昇した。( 物価が急激に上がり、生活が苦しくなった。)

Q. 外国との貿易が日本の経済に与えた影響を述べよ。

  A. 安い綿糸や綿織物が輸入されたため、国内の生産地は打撃を受けた。また、生糸・蚕種や茶の輸出が増えたため、国内で品不足になり、生活必需品が値上がりした人々の生活が苦しくなった。

Q. 外国との貿易が日本の社会面に与えた影響を述べよ。

A. 幕府の外交姿勢に反対する大名や武士、公家の間に尊王攘夷の考えが広まった。

Q. 幕末、貿易額が増えると物価はどのようになったか?

A.貿易額が増えるにしたがって、物価が上昇した。

Q. 貿易が始まると、武士はどのようになったか、「攘夷」の語句を使って書きなさい。

A. 外国に対する反感を強め、攘夷に主張する声が高まった。

Q. 尊王攘夷とはどのような考えか?

A. 天皇と尊ぶ尊王論と、外国人を追い払おうとする攘夷論が結び付いた考え。

Q. 尊王攘夷運動とは、どんな運動か?

A.朝廷を推し立てて欧米の勢力を排斥しようとする運動。

Q. 桜田門外の変は日米修好通商条約の内容に不満をもつ水戸浪士たちによるものとされているが、どのような内容に不満があったのか?

A. アメリカに領事裁判権を認め、日本に関税自主権がないこと。

Q. 桜田門外の変の後、幕府が公武合体策に転換した理由を説明せよ。

A. 朝廷を利用して、幕府の権威を回復しようとしたから。

Q. 1864年に四国艦隊が下関を攻撃したのは、長州藩がその前年にどのようなことを行ったからか?

A. 関門海峡を通る外国船を砲撃したから。

Q. 攘夷論が高まり、長州藩は外国船を砲撃したが、その翌年外国の艦隊によって下関の砲台が占拠された。その後、長州藩の動きはどのように変わっていったか?

A.攘夷が不可能であることを自覚し、幕府を倒して天皇中心の政権をつくる考えを強めていき、薩摩藩と同盟を組んで、倒幕をめざした。

Q. 薩長同盟を結ぶ前に、長州藩と薩摩藩が共通して悟ったのはどのようなことか?

A. 外国と戦って、攘夷の不可能を悟った。

Q. 薩長同盟は、何を目的とした同盟か?

A.江戸幕府を倒すこと。

Q. 薩長同盟により、薩摩藩や長州藩はどのようなことを目指しましたか?

A.攘夷をあきらめ、倒幕に向けて動き出すこと。

Q. 「ええじゃないか」の絵について

 (1)空から降っているものは何か?・・・神社仏閣のお札

 (2)民衆はなにをしているのか?なぜこのような行動をとったのだろうか?・・・「ええじゃないか」と踊っている。世直しを求めたため。

 (3)「ええじゃないか」という言葉には、民衆のどのような気持ちが表されているか?・・・しいたげられてきた気持ちをふきとばす、新しい世の中への期待。

Q. 「御政事売り切れ申し候」の張り紙にこめられた、民衆の思いを説明せよ。

A. 倒幕の動きが高まる中で、なすすべもない幕府を見限った民衆は、世直しへの願望を強めていった。

Q. 大政奉還とは、どのようなできごとか?

A. 徳川慶喜が政権を朝廷に返還したこと。

Q. 徳川慶喜が大政奉還をしたねらいに注目して、どのような動きによって幕府が倒れていったか説明せよ。

A. 徳川慶喜は新しい政権のなかで幕府勢力の地位を確保しようと考えていたが、西郷隆盛や大久保利通、岩倉具視らは王政復古の大号令を出して慶喜の勢力を政治の中心から追い出した。

Q. 武士の政権である江戸幕府が倒れた理由について、社会の変化・諸藩の動き・対外関係の3つの面から説明してみよう。

A. 社会 … 開国後の経済の混乱や物価の上昇で生活が苦しくなった人々が、「世直し」を唱えて一揆をおこし、幕府への不満が高まったから。

   諸藩 … 財政改革に成功した諸藩は、西洋の軍事技術の研究などを行い、幕府に対抗できる力をつけていたから。

   対外 … 長州藩や薩摩藩は、欧米諸国の軍事力を知って、攘夷から倒幕へと考えを変えたから。

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