受験まで使える最強の記述問題集            中学・歴史<近代ヨーロッパとアジア>

受験まで使える最強の記述問題集 中学・歴史

この受験まで使える最強の記述問題集は、

※教科書は、帝国書院の「中学生の歴史」を参考にしていますが、ほかの出版社の教科書にも使えます。

※問題集や定期テストの過去問題、入試問題などで見かけた記述問題を目いっぱい載せているので問題量が多いですが、授業の予習・復習で教科書を音読し、続けてこの記述問題集を読むとより理解が深まります。

※記述問題の答えを覚えるのは大変ですが、記述問題が答えられないと半分しか点が採れません。授業の予復習で日頃からこの記述問題集を音読して理解を深めておいて、テスト前には暗記するようにしましょう。また、しっかり理解していれば、自分の言葉で答えられるようにもなります。

※言い回しが違うだけで似たような問題が続くことがあります。それだけ出題回数が多かったことを表しています。

学校で配布された問題集に同じ問題があればその答えを、授業で先生が説明していればその説明を優先してください。

中学・歴史<近代ヨーロッパとアジア>

Q. 名誉革命は、なぜ名誉革命と呼ばれるか?

A. 国王を海外に追放した、戦わずして終了した革命だから。

Q. 名誉革命によってイギリスで確立した立憲君主制とは、どのような国家形態のことか?

A. 法によって君主を制限し、国民が政治を行う国家形態。

Q. イギリスでは、権利の章典によって、国王と議会の関係はどのように定められたか?

A. イギリス議会は、イギリス国王に優越することが定められた。

Q. 「王は、君臨すれども統治せず」とはどういう意味か?

A. 国王は議会の同意なしに政治を行うことはできない。

Q. ピューリタン革命と名誉革命を通して、イギリスで成立した政治体制はどのようなものか?

A. 国王は議会の承認がなければ法律の停止や新しい課税ができないなどを定め、議会が中心の政治が始まり、イギリスの立憲君主政と議会政治が確立した。

Q. アメリカの国旗の13本の横線は何を表しているか?

A. 独立当時の州の数を表している。

Q. アメリカ大陸の13植民地は、なぜイギリスからの独立を求めるようになったか?

A. 13植民地の人々は、イギリス本国の議会に代表を送る権利がないのに自分たちの同意もなく一方的に課税されたから。「代表なくして課税なし」

Q. アメリカで独立後成立した政治体制はどのようなものか?

A. 代表制に基づく共和政と三権分立を定めた合衆国憲法が作られた。

Q. アメリカ合衆国憲法の柱について簡単に説明せよ。

  A. 代表性による共和政と三権分立を柱にした。

Q. アメリカの独立宣言とフランスの人権宣言に共通する言葉は何か?

A. 人間・自由・平等・権利

Q. フランス革命が起こる前のフランスの社会はどのような社会だったか?

A. 僧や貴族が特権をもつ一方で、平民は苦しい生活をしていた社会。

Q. フランス革命を簡単に説明せよ。

A. 聖職者や貴族に苦しめられていた平民が武器をとって反抗した。

Q. フランス革命がめざしたのはどのような社会か?

A. 人民を中心とした自由で平等な社会。

Q. フランス人権宣言で主張されたことは何か?

A. 基本的人権と人民主権。

Q. 人権宣言第3条「主権のみなもとは、もともと国民のなかにある。どのような団体や個人であっても、国民から出たものでない権力を使うことはできない。」はどのような考えを主張しているか?

A. 人民主権の考えを主張している。

Q. フランス革命による社会の変化を、風刺画を参考に説明せよ。

A. 税を負担する人々が、革命前は平民身分の人々だけであったが、革命後は、聖職者・貴族・平民が平等に負担するようになった。(石=税)

Q. フランス革命の前後で、第一身分聖職者、第二身分貴族、第三身分平民の人たちの立場はどのように変化したか?

A. 革命前は第三身分が税を負担していたが、革命がは3つの身分が税を負担するようになった。

Q. フランス革命がその語のヨーロッパに与えた影響について説明せよ。

A. 法も習慣も異なった地域に中央の議会が定めた法律が及ぶようになり、その法律に従って人々が生活を変えていくようになった。また、ナポレオンがヨーロッパ諸国を征服するなかで、各地に自由・平等の考えが広まり人々の民族意識を高めることにもなった。

Q. 産業革命を説明せよ。

A. 大量生産が可能になり工業化が進んだことにより、社会や人々の生活が大きく変化したこと。

Q. 産業革命のきっかけになったのはどのようなことか?

A. 蒸気機関が機械の動力として使われるようになったこと。

Q. 産業革命によって、生産方法と生産力はどのように変化したか?

A. 生産方法がマニュファクチャアから工場制機械工業に変化し、生産力が大きく伸びた。

Q. 工業が機械化されると従来に比べてどのような良い点があるか?

A. 安価な商品が大量生産できる。

Q. 産業革命時、イギリスの炭鉱で子供たちが働き手となっているのはなぜか?

A. 労賃が安く、せまい坑道でも働きやすい。

Q. 子ども達にとって、健康のほかにどんなことが損なわれるだろうか?

A. 単純労働で知能の低下をもたらす。

Q. 繊維工場で働く子供たちの1日のグラフからわかる問題点は?

A.・就業 時間が長すぎる。・休憩時間が短すぎる。

Q. 炭鉱への出入りに滑車を使っているのは、なぜか?

A. 掘り出した鉱山品の搬出を管理しやすい。

Q. 産業革命がもたらした変化を、光の面とかげの面に分けて説明せよ。

A. 光…人間性を解放し、安価な製品の大量生産を可能にした。

   影…低賃金での長時間労働、子どもや女性の重労働などを生んだ。

Q. 資本主義社会のもとで発生した社会問題は何か?

A.・長い労働時間・子どもや女性の重労働・鉱工業による環境汚染 ・都市の不衛生な生活環境 など。

Q. 資本主義と社会主義とは、どのようなものか?

A. 資 … 工場や機械を持つ資本主義が、労働者を雇って利益を目指して生産活動をする。

   社 … 自分たちの生活と権利を守るために労働組合を作って団結し、さらに、労働者を中心に平等な社会を目指そうとする。

Q. なぜ社会主義の考え方が生まれたのか?

A. 資本家と労働者の間に大きな貧富の差が生まれ、低賃金での長時間労働や生活環境の悪化など、労働者が厳しい環境に置かれたため。

Q. 産業革命後のヨーロッパがアジアに進出した理由を書きなさい。

A. 安い原料の入手先や、機械で大量生産できるようになった工業製品の販売先を求めたため。

Q. 産業革命によってインドの綿織物 はどのような影響を受けたか?

A. イギリスはインドから綿花を安く輸入し、機械で生産した安価な綿織物を大量にインドに輸出したため、手工業によるインドの綿織物業はおとろえた。

Q. 1800年以降、綿布の輸出がイギリスでは著しく増え、インドでは急激に衰えた。なぜか?

A. イギリスで産業革命が起こり、綿製品を安く大量に生産するようになったから。

Q. 産業革命後インドではイギリスの支配がすすみ、綿織物業が衰退した。なぜか?

A. イギリスが、機械で生産した安い綿織物を大量にインドに持ち込んだため。

Q. 産業革命以降、イギリスやフランスなどがアジアへ進出するようになった理由は?

A.原料の供給地や商品の輸出先が必要となったから。

Q. 欧米の列強は、さらに勢力を伸ばすために何をめざしたか?

A. インド・中国・東南アジアの植民地化を目指した。

Q. アジアでのヨーロッパ諸国の動きを、日本はどのように受けとめたか?

A. 鎖国を守るため、沿岸の警備を強化したり、外国船打払い令を出して外国船を追い払う方針を出したりした。

Q. イギリスは、清との貿易を、インドをはさんで三角貿易で行った。なぜこのような貿易を行ったか?

A. 銀を失うことなく、茶を手に入れようとしたから。

Q. イギリスにとって三角貿易のメリットは?

A. 流出した銀がイギリスにもどってくる。

Q. 清がアヘンの貿易を取り締まった理由は中毒者の増加や経済上の問題があるが、経済上の問題について説明せよ。

A. アヘンの密輸入の増加によって、銀の国外流出量が極端に増えた問題。

Q. アヘン戦争(1840~42年)でイギリスが清に勝った理由は?

A. 産業革命によって、工業力も軍事力もイギリスが勝っていたから。

Q. 南京条約で決められたことを3つ書きなさい。

A.・イギリスが、香港島や莫大な賠償金を手にいれること。

   ・広州ほか上海など5港の開港

   ・イギリス人の自由な商業活動を認めさせ、開港地のイギリス人への裁判権を確保。

Q. アヘン戦争によって結ばれた南京条約は、清にとっては不平等なものであった。その内容を一つ書きなさい。

A.・清に関税自主権がなかった。・イギリスに領事裁判権を認めた。・イギリスに香港をゆずった。・イギリスに多額の賠償金を払った。など

Q. アヘン戦争で清がイギリスに敗れたことを知った幕府は、外国に対する態度をどのように変えたか?さん

A.・これまでの異国船打払令をゆるめた。(外国船を砲撃して追い払わらなくなった。)

・諸外国に武力では対抗できないことを認識し、異国船打払令を緩め、薪や水などを与えて外国船を日本から退去させるようにした。。

Q. 18世紀に入り、インドの綿織物の輸出よりも、イギリスの輸出が増えたのはなぜか?

A. イギリスは産業革命により大量生産が可能となった安価な綿織物をインドに輸出し、打撃を受けたインドでは綿織物から綿花や茶などの輸出へと変化したため。

Q. インド大反乱がおこった理由を、産業の面から説明しなさい。

A. イギリスで大量生産された安い綿織物が流入し、インドの伝統的な綿布産業が打撃を受けたから。

Q. インド大反乱(1857~59年)後、イギリスとインドの関係はどのようになっていったか?

A. イギリスが大反乱を鎮圧し、インド全土を掌握して帝国支配の拠点とした。

Q. 欧米諸国がつくった経済のしくみは、アジア・アフリカの植民地にした地域にどのような影響を与えたか?

A. 伝統的な産業を衰えさせ、富を奪っていく不平等な経済の仕組みによって、長い間自国の経済や産業を発展させられない状態となった。

Q. 南北戦争期のアメリカの南部と北部の産業について述べよ。

A. 北部 … 綿工業を中心に商工業が成長し始めた。

   南部 … 黒人奴隷によるイギリス向けの安価な綿花栽培が盛ん。

Q. 南北戦争(1861~65年)について、北部と南部の貿易の方針と奴隷制度についての考え方の違いは?

A. 北部…保護貿易、奴隷制度NG    南部…自由貿易、奴隷制度OK

Q. 奴隷解放宣言ができるようになったのはなぜか、奴隷が必要なくなった理由は?

A.近代化に成功したため、機械による工業製品の大量生産が可能になったから。

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