受験まで使える最強の記述問題集             中学・歴史<鎌倉時代> 

受験まで使える最強の記述問題集 中学・歴史

この受験まで使える最強の記述問題集は、

※教科書は、帝国書院の「中学生の歴史」を参考にしていますが、ほかの出版社の教科書にも使えます。

※問題集や定期テストの過去問題、入試問題などで見かけた記述問題を目いっぱい載せているので問題量が多いですが、授業の予習・復習で教科書を音読し、続けてこの記述問題集を読むとより理解が深まります。

※記述問題の答えを覚えるのは大変ですが、記述問題が答えられないと半分しか点が採れません。授業の予復習で日頃からこの記述問題集を音読して理解を深めておいて、テスト前には暗記するようにしましょう。また、しっかり理解していれば、自分の言葉で答えられるようにもなります。

※言い回しが違うだけで似たような問題が続くことがあります。それだけ出題回数が多かったことを表しています。

学校で配布された問題集に同じ問題があればその答えを、授業で先生が説明していればその説明を優先してください。





中学・歴史<鎌倉時代>

Q. 鎌倉に幕府が開かれた理由は?

A. 周囲を山や海に囲まれ、敵から攻められにくいから。

Q. 政治の中心地が鎌倉にうつり、政治を行う人々も変わった。どのように変わったか?

A. 貴族(天皇)から武士に変わった。

Q. 御家人とはどんな武士のことか?

A. 土地を仲立ちとして将軍と御恩と奉公の主従関係を結んだ武士のこと。

Q. 封建制度の将軍と御家人との主従関係について説明せよ。

A. 御家人は、将軍から御恩として領地を与えられ、将軍のために戦うなどの奉公をした。

Q. 御恩と奉公とはどのようなものか?

A.・御恩…将軍が、御家人を守護・地頭に任命したり、御家人に新しい領地を与えたりその土地を保護したりした。

  ・奉公…将軍に忠誠を誓い、京都や鎌倉の警備をしたり、将軍のために命がけで戦う。

Q. 御恩の内容を書きなさい。

A. 先祖代々の領地を保護する。または、新しい領地を与える。

Q. 守護の役割は?

A. 国ごとにおかれ、御家人の統率・軍事、警察の役割。

Q. 地頭の役割は?

A. 荘園や公領ごとにおかれ、土地の管理や年貢の取り立てを行う役割。

Q. 守護・地頭を置くのに、源頼朝が用いた名目は?

A. 弟の源義経を捕らえるという名目。

Q. 源頼朝は義経を捕える口実で、朝廷に2つの役職を置くことを認めさせた。どこにどのような役職をおいたか?

A. 国ごとに守護を、荘園や公領ごとに地頭を置いた。

Q. 御家人にとって、地頭に任じられることが大切だった理由を説明せよ。

A. 荘園や公領の農民たちを支配し、荘園領主に納める年貢の取り立てを請け負うことで、産物の一部を自分のものにすることができたため。

Q. 以前より、それぞれの国には国司が置かれていたが、鎌倉幕府の将軍によって、人々は二重に支配されるようになった。なぜか?

A. 鎌倉幕府が、国司と同様に全国に守護を 置いたから。

Q. 武士の館の特徴を述べよ。

A.・館のまわりに堀がある。門に矢倉がある。鷹狩の鷹がいる。

   ・土べいや堀を周囲にめぐらせ、防備をかためていた。

Q. 武士の館で馬や猿、鷹が飼われているのは、なぜか?

A.「いざ鎌倉」の出陣に備えた動物たちである。

Q. 武士が流鏑馬をしている絵から、武士が何のためにどんなことをしていたことがわかるか?

A. 武芸の訓練をして、常に戦いに備えていた。

Q. 執権政治とは?

A. 北条氏が代々執権として御家人たちをまとめ、幕府の政治を動かした政治のあり方

Q. 1221年に後鳥羽上皇は承久の乱を起こしたが、なぜこの時期に起こしたか?

A. ・源氏の将軍が絶えたから。・源氏が滅びたから。

Q. 承久の乱ののち、幕府の勢力はどのようになったか?

A. 西日本にまでおよぶようになった。

Q. 承久の乱の前と後では、鎌倉幕府の勢力範囲はどのように変わったか?

A. 承久の乱の前は幕府の勢力範囲は東日本だけだったが、承久の乱の後は西日本にまで広がった。

Q. 頼朝が鎌倉幕府を開いたころと承久の乱以降の幕府のおよぶ支配の違いについてのべよ。

A. 頼朝のころ……京都の朝廷では院政が続き、西国では東国に比べると、公家や寺社が依然として強い力をもっていた。

承久の乱以降……東国の御家人を西国の領地の守護や地頭に監視や西国の武士の統率のために六波羅探題をおいたりして、幕府の支配が西国まで広がった。

Q. 承久の乱ののち、幕府の勢力が西日本にもおよぶようになった。理由は?

A. 上皇に味方した公家や武士の領地を取り上げ、東国の御家人をそこの地頭に任命したから。

Q. 六波羅探題は何のために設置されたか?

A. 朝廷の監視や、西日本の武士の統制のために設置された。

Q. 六波羅探題が行ったことを説明せよ。

A. 朝廷の監視や、西日本の武士の統制を行った。

Q. 御成敗式目が出された目的を述べよ。

A. 武士の裁判を公平に行うための基準を示すため。

Q. 御成敗式目は、何のために、だれを対象にして制定されたか?

A. 裁判を公平に行うために、御家人を対象にして制定された。

Q. 御成敗式目の内容と、武家社会の中でどのような性質をもったか?

A. 武士の裁判の基準を示したもので。その後の武家政治の基準とされた。

Q. 定期市はどのような所に開かれていたか?

A. 寺社の門前や交通の便利な所。

Q. 平安時代までの仏教と、鎌倉時代までの仏教との違いを、<仏教の支持者>の面から説明しなさい。

A. 平安時代までの仏教の支持者は天皇や貴族で、鎌倉時代の仏教の支持者は武士や民衆であった。

Q. 鎌倉時代の仏教が、貴族や武士だけでなく民衆の間にも広まった理由は?

A. 簡単でかりやすく、実行しやすい教えだったから。

Q. 鎌倉時代の仏教は、急速に広まった。なぜか?

A. 山奥で厳しい修業をするのではなく、簡単でわかりやすかったから。

Q. 神仏習合とはどのような考え方か?

A. 日本古来の神への信仰と仏教とが融合した考え。

Q. 禅宗の精進料理の特徴は?

A. 肉や魚を使っていない。

Q. 東大寺は奈良時代を代表する寺院であるのに、どうして鎌倉時代の代表的な建築物になっているのか?

A. 宋様式の南大門や運慶らの仏師がつくった金剛力士像など、武士の気風を反映した文化財が残っているから。

Q. 鎌倉時代の文化の特徴を平安時代の文化の特徴と比べて説明せよ。

A. ・平安時代は貴族文化で、鎌倉時代は武士や民衆の文化である。

   ・武士の気風を反映して力強い。

Q. 鎌倉時代のころ、マルコ=ポーロは「東方見聞録」で日本をどのような国と紹介しているか?

A. 黄金の国

Q. 元にマルコ=ポーロやイスラム商人などが訪れ、交流が盛んになった理由を述べよ。

A. モンゴル帝国が東ヨーロッパにまでおよぶ広い地域を支配下に置いたから。

Q. 「蒙古襲来絵詞」の絵で左側が元軍と考えられる。その理由を述べよ。

A. 集団戦法をとっているから。

Q. 元寇における中国軍と日本軍の戦い方の特徴は?

A. 中国軍は集団戦法をとり、毒矢や火器を使用した。日本軍は一騎打ちで戦った。

Q. 元軍に対して日本の武士たちが苦戦した理由は?

A. 元軍が優れた火器を使い、集団戦法で戦ったから。

Q. 「蒙古襲来絵詞」の絵で不自然なところはどこか?

A. 火器が元軍に向かっている。

Q. 元寇の後、従軍した御家人は幕府に不満をもつようになった。なぜか?

A. 御家人は元軍と戦うことで奉公したが、幕府から御恩として十分な土地を与えられなかったから。

Q. 元寇の影響を述べよ。

A. 恩賞として新たな領地をもらえず、御家人は幕府に対して不満を高め始めた。

Q. 竹崎季長がわざわざ鎌倉まで出かけて行ったのは、なぜか?

A. 恩賞の要求に幕府へ直接交渉におもむいた。

Q. 竹崎季長は、何のために幕府に自分の活躍を訴えているか?

A. 恩賞として土地を手にいれるため。

Q. 蒙古襲来ののち、御家人の生活が苦しくなった理由を3つ書きなさい。

A. ・防衛戦であったため、幕府は恩賞の領地を十分に与えることができなかった。

・元軍の襲来に備えて海岸警備は続けられたため、その負担が御家人たちに重くのしかかった。

・武士の領地は分割した相続されるため、領地が小さくなっていった。

Q. 鎌倉時代の相続の特色を述べよ。

 A. 領地は分割され、女子にも相続された。

Q. 徳政令で定められたことを説明せよ。

A. 御家人の借金を帳消しにすることが定められた。

Q. 蒙古襲来が、幕府と御家人の関係にどのような影響を与えたか説明しなさい。

A. 御家人たちは元軍と戦い、海岸警備を続けるなど奉公に励んだが、幕府から十分な恩賞を十分に与えられずに生活が苦しくなっていった。一方で、北条市の一族だけが広大な領地を持ち、幕府の重要な役職を握っている状態が目立つようになり、御家人たちの心はしだいに幕府から離れていった。 

Q. 鎌倉幕府が衰えていった理由は?

A. 幕府を支えてきた御家人の制度、土地をなかだちとした主従関係が、十分な土地をあたえられなくなってきたことからくずれていった。





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