受験まで使える最強の記述問題集   中学・歴史<昭和時代・ 第二次世界大戦まで>

受験まで使える最強の記述問題集 中学・歴史

この受験まで使える最強の記述問題集は、

※教科書は、帝国書院の「中学生の歴史」を参考にしていますが、ほかの出版社の教科書にも使えます。

※問題集や定期テストの過去問題、入試問題などで見かけた記述問題を目いっぱい載せているので問題量が多いですが、授業の予習・復習で教科書を音読し、続けてこの記述問題集を読むとより理解が深まります。

※記述問題の答えを覚えるのは大変ですが、記述問題が答えられないと半分しか点が採れません。授業の予復習で日頃からこの記述問題集を音読して理解を深めておいて、テスト前には暗記するようにしましょう。また、しっかり理解していれば、自分の言葉で答えられるようにもなります。

※言い回しが違うだけで似たような問題が続くことがあります。それだけ出題回数が多かったことを表しています。

学校で配布された問題集に同じ問題があればその答えを、授業で先生が説明していればその説明を優先してください。

中学・歴史<昭和時代・ 第二次世界大戦まで>

Q. 1929年から数年間、ソ連以外の国の鉱工業生産は減った。なぜか?

 A. 世界恐慌が起こって、経済が混乱したから。

Q. 日本で英語のプラカードを持って仕事を探すことに、当時どのような意味があったのか?

 A. 当時としては珍しかった英語ができることをアピールして就職しようとしていた。

Q. 世界恐慌の不景気の影響から日本で起こった出来事を述べよ。

 A. ・銀行の休業や倒産が相次いだ。 ・会社の倒産や生産の縮小によって失業者があふれ、労働者への賃金の切り下げや不払いが起こり、学校を卒業しても修飾できない人々が増えた。 ・アメリカへの生糸の輸出が途絶えたために養蚕業が衰退し、農家の収入が減った。・生活苦の解決を求めて労働争議や小作争議が激しさを増した。

Q. アメリカから始まった世界恐慌が、なぜ日本の農村に大きな打撃を与えたのか?

 A. アメリカへの生糸の輸出が途絶えたことから養蚕業が衰退し、農家の収入が減少したため。

Q. 世界恐慌後、日本の国内ではどのような動きが高まっていったか?

 A. 農村では小作争議、都市では労働争議が頻発した。

Q. 1930年から数年間小作争議や労働争議が頻発した。なぜか?

 A. 昭和恐慌が起こって、国民の生活が苦しくなったから。

Q. 世界恐慌に対してアメリカ・イギリス・フランス・ソ連がとった政策を述べよ。

 A. アメリカ…(ニューディール政策)テネシー川流域の総合開発などの公共事業をおこしたり、労働者の賃金を引き上げたりした。

   イギリス・フランス…(ブロック経済)本国と植民地や関係の深い国・地域との貿易を強化し、それ以外の国の貿易品には高い税をかけてしめ出すブロック経済が行われた。

   ソ連…(五か年計画)重工業の拡大と農業の強制的な組織化が進められた。

Q. ブロック経済とはどのような政策か?

 A. 本国と植民地や関係の深い国・地域との貿易を強化し、 それ以外の国の貿易品には高い税をかけてしめ出す政策。

Q. 世界恐慌に対してアメリカがとったニューディール政策とはどのような政策か?

 A. 農産物や工業製品については生産量を制限して価格を調整し、大規模な公共事業を起こして失業者を減らしたり、労働者の賃金を引き上げたりした政策。

Q. 世界恐慌に対してアメリカ合衆国のルーズベルト大統領はどのような政策をとったか?

 A. 政府が積極的に公共事業を起こし、景気の回復を図るなど、ニューディール政策を行った。

Q. ニューディール政策で、ダム建設を行った目的は?

 A. 公共事業をおこして失業者を助け、労働者の権利を保護すること。

Q. イギリス・フランス がブロック経済、アメリカがニューディール政策を行った結果、世界情勢はどのようになったか?

 A 国際協調の体制がゆらいだ。

Q. ドイツ、イタリア、日本は、ブロック経済を形成するのが難しかった。なぜか?

 A. 植民地が少なかったから。

Q. ヒトラーとムッソリーニの言葉に共通する考え方は何か?

 A. 大衆、個人を知的でないとし、国家がすべてであるとの考えから、ファシズム国家の独裁体制を作り上げた。

Q. ファシズムとは、どんな政治体制か?

 A. 国民の民族意識をあおって大衆を動員し、議会による民主主義を否定した上で熱狂的な世論をつくり上げて政策への反対の声を上げにくくする独裁的な政治体制。 

Q. なぜドイツでファシズムが台頭したのか?

 A. ドイツでは、ヒトラーの率いるナチス党が政権を握ると、公共事業をおこして失業者を減らすことで世論の支持を集め、さらに大衆向けの宣伝を大々的に行い、ドイツ民族の優秀さを強調して民族意識をあおって国民の言論や思想を制限しながら熱狂的な世論を作り上げていったから。

Q. 人々はなぜファシズムを支持したか?

 A. 民衆は、ベルサイユ講和条約によるドイツ制裁の破棄に共感した。 

Q. 満州事変当時の日本の人々は、中国などアジアの国々の人々に対してどのような態度でいたか?

 A. 中国などアジアの国々は日本ほど開けた国ではなく、国力の強い日本に従うことでアジアは平和になるという態度でいた。

Q. 清の皇帝を満州国の元首にしたのはなぜか?

 A. 中国は中華民国でなく清朝が正当であるということを示すため。

Q. 満州国に移住した人々の暮らしはどんなだったか?

 A. 未開の土地の開発は移民に大変な苦難を与えた。

Q. 軍部は、満州への移民の確保が難しくなると、少年たちを義勇軍として募集した。なぜ少年たちは「義勇軍」と呼ばれたか?

 A. 少年をだしにして満州への移民を奨励した。

Q. 日本が国際連盟を脱退した理由を説明せよ。

 A. 関東軍が満州事変を起こして満州国を建国したが、国際連盟が満州国の正当性を認めず、関東軍の満州からの撤退を勧告したから。

Q. 満州国の建国は、日本の武力侵略によるものとして国際的に認められなかった。この後、日本はどのような行動をとったか?

 A. 国際連盟を脱退した。

Q. 五・一五事件で、日本の政治はどう変わったか?

 A. 政党の党首が首相にならず、軍人出身者主導の内閣が多くなり、政党政治は途絶えた。

Q. 五・一五事件で犬養毅首相が殺害されると、それまで続いてきた「憲政の常道」に終止符が打たれた。この「憲政の常道」とはどういうことを指すか?

 A. 衆議院で多数の議席をしめる政党が内閣を担当すること。

Q. 政党政治の終わりによって、軍事費はどのように変化したか?

 A. 第一次世界大戦後、低くなっていた軍事費の割合が、政党政治が終わったころから、急激に高くなっていった。

Q. 二・二六事件以後、日本の政治はどう変わったか?

 A. 軍部の政治への影響力が一層強まった。

Q. 五・一五事件と二・二六事件の後、日本の政治はどのように変化したか?

 A. 五・一五事件によって政党政治が途絶え、二・二六事件の後、軍部がさらに影響力を強めた。

Q. なぜ、人々は軍部を支持したのか?

 A. 不景気の影響で政党政治は人々の信頼を失い、新聞も満州事変を支持したキャンペーンを行ったため、民衆のなかにも、資源の豊かな満州を支配することで不景気を解決しようとする考えが広まっていったから。

Q. 日中戦争の始まりによって日本と中国の国内で起こった動きをそれぞれ説明せよ。

 A. 日本:国家予算の大部分を軍事費にあて、国民や物資を優先して戦争に回すための国家総動員法を定めた。また、政党は解散して大政翼賛会に合流した。

  中国:内戦状態にあった中国共産党と中国国民党が共同して抗日民族統一戦線を作り、日本に抵抗を続けた。

Q. 「国家総動員法、隣組、統制」のことばを使って、戦時下の国民生活の様子を説明せよ。

 A. 戦争遂行のため、人や物資を動員するため国家総動員法を制定し、政党や政治団体を解散させて大政翼賛会にまとめ、そのもとに隣組を組織して、国民を互いに監視させて、反戦の言論や思想を統制した。

Q. 1930年代後半から食料難が次第に深刻になった。なぜか?

 A. 日中戦争が長引くにつれて戦時体制が強まり、農村では人手や肥料が不足したから。

Q. 政府が国民に対して行った生活に関する政策を書きなさい。

 A. ・情報は政府によって統制。 ・1940年にマッチと砂糖、翌41年には米までもが配給制に。 ・ぜいたくが禁止。 ・町内会やその下には隣組が作られた。 ・尋常小学校は、1941年に国民学校初等科となり、軍国主義教育が強化された。

Q. 「ぜいたくは敵だ」と言われた理由は?

 A. 軍需品が優先されたため、生活必需品が不足していたから。

Q. 第二次世界大戦はどのように始まったか?

 A. ドイツがポーランドへ侵攻し、イギリスとフランスがポーランドとの同盟を理由にドイツに戦線布告して始まった。

Q. 枢軸国、連合国それぞれのつながりを述べよ。

 A. 枢軸国 … ヨーロッパにおけるファシズムのドイツ・イタリア

   連合国 … 民主主義を守る国々

Q. 第二次世界大戦中に、ヨーロッパ各地で行われたレジスタンスはどのようなことか?

 A. ドイツ軍に対する抵抗運動のこと。

Q. 日独伊三国同盟の目的を述べよ。

 A. ドイツとイタリアがヨーロッパで、日本がアジアで指導的地位に就くために協力し合うこと。

Q. 日本が日ソ中立条約を結んだ目的を述べよ。

 A. 北方の安全を確保するため。

Q. 1941年日本がフランス領インドネシア北部へ侵攻した目的は?

 A. 中国を援助しているアメリカやイギリスの補給路を断ちきり、あわせて石油やゴムなどの資源を得ること。

Q. 1941年以降、日本が東南アジア(フランス領インドネシア)へ軍を進めた目的を説明せよ。

 A. 石油などの資源を手に入れるため。

Q. 1941年以降、日本軍の進路は東南アジアに向かった。その目的を述べよ。

 A. 東南アジアの資源を獲得すること。

Q. 第二次世界大戦が始まって以降の、日本とドイツ・アメリカ・ソ連との関係を説明せよ。

 A. 日・独…日独伊三国同盟を結び、ともに枢軸国側になった。

   日・米…アメリカは日本への石油や鉄を輸出制限するなど日本を経済的に孤立させようとした。

   日・ソ…日ソ中立条約を結んだ。

Q. 太平洋戦争が始まるきっかけとなったできごとを2つ説明せよ。

 A. ・日本軍がハワイの真珠湾にあるアメリカ海軍基地を攻撃したこと。

   ・日本軍がイギリス領のマレー半島に上陸したこと。

Q. 太平洋戦争の始まりによって、第二次世界大戦はどのような戦いになったか?

 A. 世界戦争になった。

Q. 「大東亜共栄圏」とは、どのような主張か?

 A. 東アジアや東南アジアを欧米の植民地支配から解放し、日本を指導者としたアジアの民族だけで栄えていこうという主張。

Q. 日本の占領下の国や地域で、抗日運動が起こった理由を説明せよ。

 A. 日本軍が物資や食料を強制的に取り立てたり、軍の命令に従わない人々を厳しく処罰したり、日本語教育などの政策を進めたりしたため。

Q. 太平洋戦争の開戦前とその後の国民生活で、大きく変化した点は何か?

 A. 太平洋戦争が始まると、すべて「お国のために」ということで、国民生活が管理・統制された。

Q. 戦争が長引く中、政府は男の人に国民服の着用を義務づけた。なぜか?

 A. ・思想や生活を統制して、国民を戦時体制に誘導するため。

   ・経済を統制して、戦争のための物資を優先的に集めるため。

Q. 戦局が悪化したことで行われた政策は何か?

 A. 勤労動員、学徒出陣、学童疎開。

Q. 戦局の悪化に伴い、学生はどのような生活を強いられたか?

 A. 勉強を中断し軍需工場で働いたり、徴兵され戦場で戦ったりする生活を強いられた。

Q. 太平洋戦争末期に大都市の児童が集団疎開したのはなぜか?

 A.空襲を避けるため。

Q. 沖縄戦は、日本のほかの地域での戦いとどのような点が大きく異なるか?

 A. 激しい地上戦に巻き込まれた。

Q. 1945年7月、連合国はポツダム宣言を発表した。この宣言は、連合国のどの国の名前で、日本にどのようなことを求めたか、簡単に説明しなさい。

 A. アメリカ・イギリス・中国の名で、日本に無条件降伏を求めた。

Q. 第二次世界大戦では、どのような犠牲があり、どのような終わりを迎えたか?

 A. 第二次世界大戦の死者は、アジアと太平洋地域だけでも2000万人を超え、日本人では軍人と民間人を合わせて約310万人が犠牲となった。日本は降伏を受け入れるのが遅かったため、アメリカに原子爆弾を投下され、広島・長崎は焼土となり、多くの犠牲者を出した。

Q. 日本が戦争を拡大していった理由と多くの犠牲者を出した理由を説明せよ。

 A. 拡大…資源の獲得のために東南アジアに進出したため。

   犠牲…「正しい戦争」であるという認識から降伏が遅れ、原子爆弾が投下されたことなどから軍人だけでなく民間人にも多くの犠牲者が出たため。

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